ここではkinpicaの想いを綴ってみたいと思っています。

◎2008年12月21日

 会社で仕事をして、給料をもらい、ボーナスも貰い生活をできる環境になった。
 これは、kinpica一人でできたことではない。支えてくれた家族、そして会社の仲間が支えてくれたからである。
 感謝、感謝
 
 日々、薬を飲み、生きている。
 飲んでいる薬はステロイド 11ミリ、
免疫抑制剤100ミリを飲んで、副作用を抑えるための薬を大量に飲んでいる
 毎日、心の中でくそーーーーと叫び
 生かされていることに感謝もしている
 
 妻の顔をみる
 娘の顔をみる
 感謝です。
 
 体調がふにゃふにゃしている時、気分が沈む
 どこか壊れているのか、
 しびれが強い時、
 不安で頭がおかしくなりそうです。

 そんなとき、
 永峰さんを思い出す
 横浜で同室だった43歳の方です。筋ジストロフィーで大学生の時から病と闘っていた。
 自分で寝返りもうてず、一日テレビを見ていた
 「内心、この人は何で生きているのかなぁ」思ったりした
 
 そのころは、kinpicaは入院して不安でカーテンを閉めては
 悔しいと泣いていた
 毎日、明日はよくなると思い、ノートにがんばれと綴った日々
 
 永峰さんのお母さんはkinpicaがんばれ
 治るからねと励ましてくれた

 その永峰さんは天国に召された(07年10月)

 いま、永峰さんを思う
 希望を捨てず、自分の病を受け入れ、誰にも好かれた人である
 どんなに悔しかったかと思うがそんなことを見せずに・・・・・・・

 それに比べ、kinpicaは会社で働き、家族と生きる
 家族と喧嘩かもする
 なんて不幸なんじゃと思う
 どこか壊れて、 病院に入院かとも思う
 今を失いたくないと思う
 生きている幸せを忘れている
 今を生きることを楽しんでいこう
 感謝忘れず

◎2009年1月24日
努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る By井上靖、By明穂@KIDOさん(マイミクさん)より

毎日、後悔しないようにしよう。自分の不満やイライラをぶつけないように
どうせ一度の人生だから楽しまなきゃ(笑) 

嘆くな(笑)笑い飛ばせ(笑)

◎2009年2月1日
日立7000億の赤字決算
なんともやりきれない
仲間がいなくなっていく
がんばらなきゃ 
俺達がやらなきゃ
和 誠 開拓者精神

なげいいても何も変わらない
自分の足元を見つめて頑張れkinpica

◎2009年2月14日 R25 内田 樹うちだ・たつる インタビュより引用

http://blog.tatsuru.com

「ブレイクスルーって、自分が今使っている知の枠組みとか、言葉とか、価値観とか、スキームに収まらないようなものと出くわしたとき、そのまま突っ込んでいくこと。たとえば断崖絶壁で、なんとかなりそうな気はするけど、誰もそれを保証はしてくれない。“ここに行く以外に今の自分の未熟さの限界を超えられないんじゃないか”と感じ取ったら飛び込んじゃう」

『街場の教育論』という著書のなかでブレイクスルーにふれている箇所がいくつかある ―― 内田 樹という人は、大学の先生で思想家で武道家だ。専門はフランス文学・フランス思想、近現代フランス思想史、身体技法論、映画記号論。で、合気道六段。

この本は学校の先生たちに向けて、日本の教育をよくするために書かれたが、先生じゃない人たちが読んでも「そうだったのか!」とひざを打ちまくる。ブレイクスルーの件もまさにそう。 “日本地図だけしか持っていなくて、その地図上の自分の街の場所しか知らなかった人が、突然、東アジアの地図を渡されて、「君の街はここだよ」と指し示されたような気分のもの”とある。

「良いことがあるし、大失敗もある。麻原彰晃のような人に帰依するのも、主観的にはブレイクスルーしているんですよね。それまでの価値観から離れるわけだから。だったら『しないほうがいいよ』って言いたいぐらい(笑)」

ブレイクスルーしない場合、人はずっと子どものままで社会を生きてくことになるという。それはそれで危険。

「子どもは“こういう場合はこうしなさい”というガイドラインがあって、その通りに行動すればいいようになっています。大人の世界というのは、どうしていいかわからないような出来事が突然起こります。恋をするとか、親が死ぬとか、ハイジャックに遭うとか。マニュアルはないけれど最適な行動をとらないと、命に関わる。そういうことが年がら年中起こるんです。それをなんとか切り抜けていくのが大人。どうしていいかわからないのが子ども。子どもの世界では許されるけど、大人の世界でそう答えると、“じゃあ死になさい”と言われちゃうんですね」

通過していくときの危険に耐えるか、通過せずにずっと危険につきまとわれるか ――― 。そりゃ前者がいいだろう。だが望んだからといって起こるわけではない。もっとも簡単にブレイクスルーする方法は「明らかに適切に生きている人を捜して、その人の弟子になること」だと言う。けれどこれには一筋縄ではいかない前提がある。

「自分が圧倒的に未熟であることを知ること。今の人は自分のことを“未熟”だとは思っていません。言うとすれば非力だとか無力だとか。立場が弱いとか、金や学歴や知識がないとか…自分に足りないところを全部挙げられるんだけど、未熟さとはそんなことじゃないんです。自分に何かが足りないけれど、何が足りないのかわからないこと」

先生自身も、そういうふうにして師匠と呼べる人に出会っている。

子ども時代からマンガで見た師弟関係に異常に憧れていた。赤胴鈴之助に対する千葉周作や、猿飛佐助に対する戸澤白雲斎などなど。師匠がほしくてしょうがなくて、ちょっと立派な感じの人(大学院の哲学教授や押し出しの強い企業家)に会うたび「この人が師匠では!?」と、ときめいた。

「そもそも外部評価として『内田は何もわかってない』っていろんな人から言われてましたから。これだけ『バカだ』って言われるんだから、そうなんだろうなって(笑)。わりと素直なんですよ、僕。女の子についても『内田くんステキ』って言う子には全然興味がなくて、『本当にバカね』と言われるとグッとくる(笑)。キュン。目がハート。僕のどこらへんがバカなのか、詳しく聞きたいって思うじゃないですか」

“未熟さを知る”という条件もきっちり満たしていた。5歳から師を求めては失望し、ということをくり返して20年。

75年12月、東京大学文学部仏文科を卒業した無職の冬。合気道をやりたくてフラリと入った道場に、多田 宏師範がいた。

「入門の動機を尋ねられて、愚かしくも『ケンカが強くなりたいんです』って答えたんです。そしたら、先生はニコッと笑って、『そういう動機で合気道を始めてもいい』っておっしゃった。ケンカなんて武道を始める動機としては言語道断なんだけれど、先生はそれでもいい、と言われた。つまり、先生には僕が習うつもりのことを教える気はなかった。そうではなくて、“そんなものがこの世に存在するとも思っていなかったようなものを、これから君は私から学ぶであろう”と言外に言われた気がして。そのときに、この人が僕の師匠だと確信したんです。」

師匠とは、自分がなんだかわかっていない未熟な部分を指摘して補ってくれる人。まさに先生のブレイクスルー論の原点で、「これが僕自身のブレイクスルーでもあったわけです」

そのことに巻き込まれる。
いいイメージだけを持って

R25編集部の皮膚感覚において、今のリアルは“傷つけないこと”である。相手に「バカ」と言ったり言われたりしたくないし、「資本主義がダメなんだ!」的な正論を述べがちなのも、誰からも文句が出ないですむから…。

「すごく気の毒だけど、子ども時代から学校と家庭で叩き込まれてきた競争原理のなごりですよね。とにかく失敗を怖れている。まわりの同類たちとの競争関係だけにこだわっている。自分は同学齢集団のなかでどのぐらいのランクなのかが気になってしようがない。

だから、外形的、数値的に示された自分の社会的評価ばかり気に病む。でもね、横にいる他人なんか見てもしょうがないんですよ。本当に見るべきなのは、自分自身でしょう。自分自身がきちんと前に進んでいるのかどうか、それだけでしょう。周りの人間の能力が低ければ、自分は相対的に高いポジションにランクされる。だから、相対優位に立とうとする人間は周りの人間の足を引っ張る。仲間の成長を妨げ、知的好奇心に水をかけて回る。でも、自分の成長をめざしている人間には、他人のことなんか関係ないんです。昨日の自分と比べてどうか、ということだけなんですから。“俺はTOEICの点数が500点しかないけど、あいつは800点ある。300点の差を埋めるために頑張ろう”っていうのは、向上心とは言わない。ただの競争心。向上心に他人は関係ないんです。自分自身を観察するところからしか始まらない」

それを求める過程で未熟さに気づく。測る単位も、自分の外側にアピールする術もないから、ずっと置いてけぼりにされてきた部分だといえる。

「見える形で示さなきゃいけないのは会社でも同じでしょ。“これだけ資本を投下したらこれだけ儲かる”という証拠を示さないと事業計画も相手にされない。でも、みんなデータや数値を並べるのは、失敗したときの言い訳を用意しているだけなんです。たとえばどの企業も人事戦略ががたがたですけれど、それは面接でどの人が優秀か有用かが判断できなくなっているからなんですよ。人間を見る目がないから、しかたなく学歴とかTOEICのスコアとか、外形的にわかるものを基準にする。そうしたらどんなバカを採用しても責任を回避できる。もう、みんなそこなんですよ。数値数値って言っているやつらは、結局自分の判断の失敗を問われたときに、そこに違法性がなかったと言い逃れるための材料を必死で探しているんです。後ろ向きすぎますよ」  

ここで先生、二つのお話。(1)20年ほど前、35歳で独身の女性編集者が「もし結婚しなかった場合でも大丈夫」なようにマンションを買った話。彼女はいまだに独身だという。(2)オートレースにおいて転倒したライダーは、絶対に立ち上がってはいけないという話。コース上に立つ人の姿を見た後続のライダーは、みるみるそこに吸い寄せられ、見事に跳ね飛ばすのだという。

「人間って、自分の判断が正しかったってことになると、多少不幸だとしても“予測想定内の不幸だった”ということで耐えられるんですよ。どうもみんな、想定外の幸福よりは想定内の不幸の方が好きらしくてね。だから、最悪の事態を考えて準備すると、だいたいそっちに舵を切る。でも、そこを見ると吸い寄せられるんですよ。自分の身に起こる悪いことは絶対に考えちゃいけない。強く念じたことは、それがプラスでもマイナスでも必ず実現する。『取り越し苦労はするな』ということを、僕は多田先生から教わりました。もともとは先生の師である中村天風先生の教えなんだけど。若い人たちが人間関係を怖がってるのも、“プライバシーを侵害されたり生活のペースを乱されたり、価値観とか美意識を混乱させられたりとかしたらヤだな”っていうことを考えてるからでしょ。新しい人と出会って、新しいことを経験して、自分自身がガラッと変わって、生活空間も交友関係も変化して、目の前の霧が晴れるようにすごく楽しいことが起こるんじゃないか、というふうに前向きに思わない。逆に、“こんなことが起きたらイヤだ”っていう不幸な未来をありありとイメージして、そのリストを長くしている。でも、そうすると必ず“起こって欲しくないこと”が起こる。“こんなことが起きたらいいな”というリストを長くする方が、はるかに効果的な生き方でしょう」

◎2009年2月15日読売新聞

 すきになるということは こころをちぎってあげるのか、だからこんなに痛いのか

 痛い   工藤直子 

◎2009年2月28日 紀香魂』(藤原紀香)より、抜粋

インドで、ある一人のお坊様との出会いがあった。
 
 中村行明さんという、お坊様たちからも尊敬されている32年間インドに住んでいるお方。

 彼は、スマトラ沖の地震の時もすぐに現地に飛んで、お経を読んだり、困っている人に施しをしたり、世界中を飛び回っているような人。故マザー・テレサさんとも交流があった。
 
 偉い方なのに、腰が低くて、いつもニコニコ笑顔で、それでいて、言うことに説得力がある。

 すごく勉強になったのは、魂のことやスピリチュアルなことだ。彼にとっては普通のことなのだろうけど、私は興味津津でいろいろと質問を浴びせかけてしまった。


「天国、あ、仏教でいえば極楽浄土って本当にあるんでしょうか?」
「ありますよ。でも、ほとんどの人が行くことができません。本当にこの世で大変な修行をしたり、人のために、いろんなことをしないと極楽浄土には行けません。」
「え?でも中村さんみたいにすごい修行をされて、世界のためにいろんなことをしてる人だったら行けるのでしょう?」
「僕でも行けません」
「中村さんで行けないのだったら、ほとんどの人は行けないですね」

 彼は笑って「はい」と答え、「じゃあ行けない人たちはどうなるの?」と聞くと、

「次のお腹を探すんですよ」

 人は、生き返るために死んでから49日以内に次のお腹を探す。天国ではなくて、また次の肉体を探して世の中のために生きていくというのだ。まさに目からウロコだった。


 今、出会っている人たちは来世でも会うものだもおっしゃった。会わない人とは一生会わない。それが人のご縁というものだそうだ。もちろん関係性は今とは違うらしい。友人、両親、恋人、兄弟、師弟、自分を成長させるためのいいライバルなど。

 また、「人に何かをしてあげたことは必ず返ってくる」とよく言うけれど、その関係性はプラスマイナスになっているのだという。

 例えば、ものすごく今世であなたのことを好きだと言ってくれてる人がいて、でもどうしてもその人の気持ちに応えられず「ごめんね」と何度も断っているとする。するとそれは、前世であなたのことが好きでしょうがなかったのに何回も振られた人だと。その逆もある。

 前世は1回ではなく、何度もあり、肉体は滅びても魂だけはいろんな人生を生きているという。でもどこかでプラスマイナスゼロになっていて、もし前世で悪いことをしていたら、今世で自分もそういう目に遭うなど”因果応報”全部そんなふうになっているという。


 こんな話もあった。

「今この世に必要なのに、なんであの人こんなに早く死んじゃったの?っていう人がいますけど、どうしてなんでしょうか?」

 私はずっとそれが分からなかった。今、この世に必要な人なのに、「どうしてあの人が」とか「なんであんないい人が」とか「世界のためにこれから何かする人が」亡くなってしまうのだろうと。

 故ダイアナ妃もそうだ。私は彼女のことが大好きだったからニュースを聞いたとき、とても悲しかった。彼女の笑顔を思い出して「神様って本当はいないのかな?なんで今、彼女が死んじゃうの?」と。

 すると彼の答えはこうだった。


「次の世界にすぐ必要だからですよ」


 世紀末があると言われていたり、ものすごい戦争が起こったり、未来に大変なことが起こると言われている世の中だから、その危機から人々を救うためや、そのときに人のために何かをするために。次の世界に、働き盛りの2、30代に生まれるために、今”死ぬ”のだそうだ。
 

 すでに今の世界では他にそれをできる人がいるから、今死んで、すぐ次のお腹を探し当てて、違う人物か何かになってどこかで生まれているのだいう。だから故ダイアナ妃ももうどこかで生まれているかもしれない。肉体はまったく変わって記憶もなくなるけれど、魂は一緒なんだそうだ。(ただし、自殺はいけないと。どんな理由であれ、授かった命を自分で絶つと、一生魂はさまよい、生まれ変われないそうだ)。
 

 そして、私達がまだ天に召されないのは、この世に、他の誰でもない自分がやらなければいけないことがあるからなのだ!それが使命だ。世界にかかわる大きなことだけが使命ではない。隣にいる誰かを幸せにすることも使命なのだ。
 

「ああ、だから私達は生きてるんだ」


インドですばらしい出会いをした私。

インドに呼ばれた意味がわかった気がした。

この出会いに感謝である。

◎2009年3月17日 新聞発表 日立製作所社長交代と分社化

凄まじい組織変更が発表された、kinpicaは根っからのリーマンであり、会社にずっぷりつかっている。自分はどこに根をはって
いるのか考える

会社に属さないときkinpicaは自分を家族を養うためになにをできるのか考える
そう、考えて、行動していかなければ
そしてこの100年に1回の危機に生きていることを楽しんでいけるようなゆとりが欲しい
kinpicaだけではないこの日本で生きている皆さんと一緒に考えていこう明日のために


◎2009年3月28日 mixi

「ウサギとカメのその後の話」 阿部千夏

僕はウサギの「ピーター」
僕の自慢は真っ赤なかわいい目と誰よりも遠くに飛べるジャンプ力さ!!
この辺りじゃ野山を走らせたら、僕に勝てるやつは
誰もいないんだ。

そんな僕の友達はカメの「ごん太」。
ごん太はいつも、とってもゆっくりゆっくり歩くんだ。
僕とは大違い。

そんな僕らは、今では大の仲良し。
今ではって?そう、昔はね、そうじゃなかったんだ。

いつものろのろ歩いているごん太と僕は、ある日、
山の頂上までどちらが先に行けるか競争する事になった。


僕は<のろま>が嫌い。
だからごん太の事をよく<のろま>ってからかってたんだ。

そしたらさ、「それなら競争しよう」って
ごん太が言ってきたんだよ。

そんなのやる前から僕が勝に決まっている。
よーいドン。
僕は風を切って走り出した。
もうすぐ頂上と言うところで、僕はちょっと昼寝をした。
どうせごん太は、まだまだ来やしないんだ。
どのくらいたっただろうか。

ふと目が覚め、上を見上げたら、そこにはVサインをした
ごん太が立っていた。

僕は家に帰り、悔しくて悔しくてママにこう言った。

『本当は僕が勝つはずだったんだ。
うっかり昼寝なんかしてしまったけど、ちゃんと走れば
僕の方が速いんだ。あんなのろまに負けるはずない。』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』
『明日もう一度、ごん太と勝負する』

僕はごん太ともう一度勝負した。今度はもちろん僕が勝った。
『どうだい。僕の速さが分かったかい。』
僕はそう言って、ごん太にむかってVサインをした。

ごん太はついたらきっと悔しがるに違いない。
そしたらどうだろう。
ごん太はにこっと笑って、同じように僕にVサインを返してきたんだ。
僕は悔しさと驚きで家に飛んで帰った。
僕はママにこの事を話した。

『ママ、僕、ごん太が許せない。あいつ、Vサインをするんだ。
 僕が勝ったのに・・・』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』

『明日、もう一度、ごん太と勝負する。それで、今日よりもっと速く走って、
 ごん太に僕の速さを見せつけてやるんだ』
次の日、もう一度勝負を挑んだ。
『やあ、ピーター君。えっ、また競争するの。うん、いいよ。でもさ、
 山でばかりじゃつまらないから、今度は海で競争しない。』
『えっ、海で。(海じゃ僕が完全に不利だなぁ)』

『大丈夫だよ。ピーター君は海が苦手でしょ。だからさ、
 僕の背中に乗ったらいいよ。』

『・・・・』


僕は驚いた。

そして、

『ごん太・・おまえさ、2回目に競争した時、負けたのにVサインしただろう。
 あれはどうしてなんだ。』
『ああ、あれね。1回目の時よりも速く走れたからさ。』

僕は家に帰った。ママはこう言った。
ゴン太くんは誰とも戦っていないよ。

 いつも自分のベストを目指しているだけじゃないかしら。
 私たちは1人ひとり、持っているものが違うの。

それを同じ舞台で同じように戦うのっておかしくない。
 今までは確かにそうだったかも知れないわ。でもね、
 これからは1人ひとりの力を発揮する場が違う事をお互いに思いやり、
 認め合い、評価し合い、助け合う。
 そんな世の中になるんじゃないかしらね。
 ごん太君はそれを分かっているから、自分の得意な海では苦手なあなたを

 背中に乗せるという、ゆとりの気持ちがあったのではないかしらね。』

 その日から、僕はごん太が大好きになった。
 そして、人と競争する事をやめたんだ。

◎2009年4月12日 miroku073さん

精一杯

頑張った

きっとあした

しあわせ

ひとつ

◎2009年5月8日

生きるという事は
重い荷物を背負って歩くようなもの・・・・・・・・・・

正直しんどいです。
kinpicaが横浜で意識混濁が1週間
その後5月に入院していることに気がついて
そこから戦いは始まったのですが・・・・・・・・・・・・・

意識混濁が1週間は文字どうりkinpicaには記憶はありません
家内はDrに覚悟をしておいてくださいと言われたそうです。

そのまま召されたかもしれません。
なんで生きているんだろうと思う事は良くありました。
睡眠薬を貯めて、どんだけ飲めば召されるんだろうとか
考えたり

体調は相変わらずです。
しんどいです(笑)
妻や娘の顔を見て
笑い、悲しみ、
生きているから、感じるんだと思いながら
kinpicaはなにを使命に生きているかなぁと
この頃想うのです

生きる、がむしゃらに生きる
ただそれだけ

◎2009年5月30日

自分が悪い時、八つ当たりしたとき
一呼吸おいて
素直に謝ろう

他人に厳しく、自分に甘い
そう言うものである

ただ、不快な事は宜しくない
時間が勿体ないではないか
楽しく生きること
これ大事

◎2009年9月8日

Mixiより抜粋させていただきました

京セラ会長・稲盛和夫、氏は得度(出家)してます。



『生き方−人間として一番大切なこと』(稲盛和夫)より



 一生懸命に働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省真でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。

 抜粋です

・ 幸福人生の方程式

 人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。

  人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるからです。

・明るい未来の姿を描く

 私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたいものです。

 夢が大きければ大きいほど、その実現までの距離は遠いものになる。しかし、それでもそれが成就したときの姿や、そこへ至るプロセスを幾度もシミュレーションし、眼前に「見える」までに濃密にイメージしていると、実現への道筋がしだいに明らかに見えてくるとともに、そこへ一歩でも近づくためのさまざまなヒントが、何げない日常生活からも得られるようになっていくものです。

・わずかでも前進する

 昨日の努力に少しの工夫と改良を上乗せして、今日は昨日よりもわずかながらでも前進する。

 その、よりよくしようという姿勢を怠らないことが、のちに大きな差となって表れてくる。

 けっして通い慣れた同じ道は通らないということが、成功に近づく秘訣なのです。

・ 今日一日を充実させる

 いたずらに明日を煩ったり、将来の見通しを立てることに汲々とするよりも、まずは今日一日を充実させることに力を注いだほうがいい。それが結局、夢を現実のものとする最善の道なのです。

 因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果をあせらず、日ごろから倦まず弛まず、地道に善行を積み重ねるよう努力することが大切なのです。

・「好き」と「打ち込む」の好循環

 「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。

 どんな仕事であっても、それに全力で打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。そのくり返しの中で、さらに仕事が好きになります。そうなれば、どんな努力も苦にならなくなり、すばらしい成果を上げることができるのです。

 つまり、「好き」こそが最大のモチベーションであり、意欲も努力も、ひいては成功への道筋も、みんな「好き」であることがその母体になるということです。

・ 生きる意味は魂を磨いていくこと

 この世のことはこの世限りでいったん清算しなくてはならない。
 そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものではないでしょうか。死を迎えるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。

 ですから、「この世へ何しにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。

・何があっても感謝

 必要なのは「何があっても感謝の念をもつ」のだと理性にインプットしてしまうことです。
 困難があれば、成長させてくれる機会を与えてくれてありがとうと感謝し、幸運に恵まれたなら、なおさらありがたい、もったいないと感謝する。
 感謝の心をもてれば、その人は満足感を味わうことができるのです。

・素直な心は進歩の親

 感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。
 素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。人の意見をよくきく大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身のうちに備えて絶えず働かせることになのです。
 素直といえば、日々の反省も心を磨くために忘れてはならない実践であり、素直な心の所産なのでしょう。

・理性のワンクッション

 私たちは日々さまざまな事柄について判断を迫られています。そんなとき瞬間的に判断を下したことは、おおむね本能から(つまり欲望から)出てきた答えです。

 「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心が混じっていないか」と自問することが大切なのです。
 そうやって結論を出す前に、「理性のワンクッション」を入れると、欲に基づいた判断ではなく、理性に基づく判断に近づくことができる。

・知足の心と利他の行い

 私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学をひと言でいうなら、「足るを知る」ということであろうと思います。

 また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにして、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。

 
 同じく、MIXIからの抜粋です。

ココロがネガティブな感情を感じたり、重い時、
その裏に隠された気持ちに気付いてあげると、
オセロを引っくり返すように、ココロが晴れる時があります。

たとえば、大切な人を失うと悲しいという感情がわきます。
でもそれは、それだけ大切で好きな人がいたという証拠です。

大切でなければ、悲しいなんて思いません。


悲しいと感じるのは、大好きだからです。

自分が感じた「好き」とか「大切」と言う感情に
もう一度スポットライトを当てて、自分は素晴らしいなぁと
つぶやいてみましょう。


イライラした時。それは意欲があるからです。

例えば、僕が渋滞にはまった時、とてもイライラしました。
なぜなら、どうしても行きたい場所があるからです。
どうしても行きたいと思わなければ、イライラしません。
イライラするのは意欲がある証拠です。

そこまで意欲がある自分は素晴らしいなぁとつぶやいてみます。


怒ったとき。それは何かを守りたいからです。

守りたいとも思わなければ、怒りもでてきません。

そこまでして守りたいものがある自分は素晴らしいと
つぶやいてみてください。

誰かと比べて落ち込んだとき、それは上を向いている証拠です。
上を目指そうとも思わなければ、比較することもないでしょう。

上を向いている自分を褒めて下さい。


嫉妬を感じたとき。それは、なりたい自分がいるからです。

”なりたい自分を先にやっている人”を見ると、つい嫉妬します。
なりたい自分がない人は、嫉妬すら感じないでしょう。

なりたい自分がいる、ステキな自分を素晴らしいと
つぶやいてみましょう。


人は何か変化して成長しようとする時、ネガティブな感情
と ポジティブな感情が訪れます。
ただ、面白いことに、ネガティブな感情とポジティブな感情を
同時に感じることはできません。

ネガティブな感情を感じたとき、

「そもそも自分はどうしたいんだろう?」

  優しくつぶやいてみましょう。


本来の自分の意欲に気が付いてあげましょう。

ちょっとでも、ココロが軽くなって、ちょっとでも変化を
感じたら、「おぉ、凄いぞ!」とつぶやいてみましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・


2007年がいよいよもうすぐ始まりますね♪

つらいことや嫌なこともあったと思いますが、それはオセロみたいにひっくり返しちゃいましょう。表裏一体のものなので。

人生は、「ハッピーオセロ」なんです。

黒がたくさんあっても、一つの白で、パタパタって全部白に変えることができます。

あなたにとって、2007年が、ステキな、明るい1年となりますように。  

2010年1月6日

白血球が増えちゃった

慢性骨髄性白血病(CML)+骨髄線維症(MF)闘病記+ホーランドロップ「大福」のおまけ
ちえさんのBlogより引用させていただきました

あなたがつまらないと思っている今日
それは、きのう亡くなった人が
どうしても生きたいと必死に願った今日です
今日は、そんな今日なのです


2010年4月20日 Mixi〜抜粋

緊張や不安から逃げようとすると、緊張や不安が追いかけてきます。
そう考えているのは、紛れもなく自分自身である、とはっきり認めることです。
自分から積極的に味わってみる。

この三行を忘れないように実践にして行きたいです
人生の学びは光と闇ですね 

2011年1月8 00:15
義理の祖父が永眠した。家内と付き合った頃から、孫の彼氏として可愛がっていただいた

最後の2年はプチボケで実家にいたが、2回の脳梗塞を起こし、2回目で帰らぬ人となった。
戦争を生き抜いた祖父はぼけても家族に優しい人だった。
最後は親族が集まり、病室で3回も呼吸、心臓がとなる中、必死で生きようとしていた
人は死ぬときにその人の生きざまが見えるのだろうか。
今だからこそ尊敬できる人だとつくづく思う
自分は最後まで、家族に優しくできるだろうか
自分を見つめる。

2011年1月31日から2月14日
勤続25年リフレッシュ休暇
よく頑張ったねkinpica

ここまで、やれた事に感謝してます
ここまでささえてくれた母、父、姉
そして妻、娘

ありがとう
これからも宜しくね


                          
2011年2月4日から2月8日

下関の実家に7年ぶちに帰った。ひさしぶりで何もかも懐かしかった
親父の墓まえりをして、年取ったお袋と過ごした。
なんとも親不孝なkinpicaである。
田舎に帰れた事に感謝。

親父は36歳で発病して54歳で亡くなった。
親父の分まで幸せにしなきゃいけんと思った。
長生きしなきゃ(笑)

2011年3月11日

東日本大震災 その時、会社にいた。揺れが上下左右とビルの12F
防災ヘルメットをかぶり、アトリウムへ避難

交通機関は麻痺して、一晩オフィスで過ごす。
今、生きている事に感謝。
亡くなられた方にお悔やみと被災地で避難されている方に、早く安らぐ時が来ますように

2011年6月11日

ボーナスが出た。有難いものです
この頃、家計が火の車で(笑)
子供が大きくなる
家庭が大きくなる
いろんな固定費が増える
ボーナスですべてを補てんしている。昔は、何に使うか頭はいっぱいだったが
いまは、ボーナスが無いとと思うとゾーーーっする。
人も家庭もシンプルが一番だなぁ。

2011年7月16日

今日、朝から、掃除して、午後は歩きに行きました
家でゆっくりするのは、良いのですが、そのうち寝てしまします
動かさないと、だらだらして何もしないで休みが過ぎてしまいます
楽しまなきゃね(笑)

2011年8月5日

朝、TVでは広島の原爆の日が映り、夏の甲子園が始まる
kinpicaは家でゆっくり過ごす
この頃。45歳という年を過ごしながら思う
もう少ししたら定年を迎える。そしてタンマリ残っている
家のローン
年金はどうなっているだろう。。。
日本はどうなっているだろう。。。
3.11の地震、多くの人が生きる意味や、人間の業の深さ、自然の
偉大さを感じたことであろう

そんな中kinpicaは毎日会社で仕事をして、うらやましいとか
妬みとか、そんなものの中で過ごす。すべて誰から押し付けられた
ものでもなく。すべてkinpicaの心の中、頭の中から湧きあがってくる
ものだ。
時間は短い。あっという間に年老いてしまう。
やれることを精一杯やろう。それだけ!!!





      
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